
もはやこのブログは何のために存在しているのかわからなくなってきた。適度につぶやくにはtwitterやWassrがちょうどいいし、ネット上の気になるトピックをスクラップブックのようにまとめるのにはtumblr.が向いている。モノやサービスに関する興味は関心空間に書き留めておく習性が身に付いている。あとは個人的に思いついたことぐらいしか書くことがないじゃないか。舞台に関することは舞台関連のブログがあるし。となると、ここはいよいよもって存在意義がなくなってくる。
とは言え、たまに思いついたことをダラダラと書くのには向いているので、更新頻度はぐっと減ってしまうが、残しておくことにしよう。ついでにプロフィールバッジなるものを作ってみた。左右両サイドに表示されている縦バナーみたいなのをクリックすると、それぞれ私が登録しているアカウントのページに辿り着くことになる。興味がある人はクリックしてください。
昨日、旧来の友人から呼び出されて、居酒屋で朝まで愚痴を聞くことになった。最初は相談事でもあるのかと思ったが、結局はそのほとんどが愚痴だった。たまに泣いたりして、なんか私が泣かせているようにも見えなくもないので、とても居心地の悪い思いもしたのだが、久しぶりに会って話したいだけ話させるのもいいだろうし、何よりこちらとしては今後の作品作りのヒントみたいなものも掴めるかもしれないという下心もあって、朝まで付き合った。
久しぶりに会った友人は、昔からそんな話し方をしていたかどうか覚えていないのだが、なんか村上春樹の小説に出てくるような台詞を連発してきた。言い方を変えれば、言いたいことはわかるんだが、ちょっとわざとらしいというか、芝居がかっているというか、そんな感じ。なんだろう。悲劇の主人公を演じているような、しかも最近のドラマというよりは、私が学生の頃に見た大映テレビのドラマに出てくるようなキャラクターとでも言おうか。かなり精神的に参っていたようだが、そういうときでも芝居がかった台詞というのは出るものなのだなと心の中で感心していた。
その愚痴の内容はさておき、そこから少し話題がそれたときに、なるほどと思うことがあった。チームワークはどうやって養われるのか。会社でも劇団でもチームワークは重要である。だが、説明してもチームワークができない人間もいれば、説明しなくても集団の中で上手く仕切っている人間もいる。その違いは単なる性格的なものだけではなく、過去にチームプレイをしてきたかどうか、もっと言うならば、たとえばラグビーやサッカーやバスケットボールやバレーボールなどの競技をある程度真面目に学生時代なんかにやってきた人間は、自然とチームワークができる人間なのではないか。一方、個人が戦う競技(団体戦であっても戦う場では1対1)をやってきた人間や、スポーツそのものの経験がない人間は、チームワークをするのが、団体競技経験者に比べて難しいのではないか。という話になったのだ。
団体競技をしていてもチームワークが苦手な人間はいるかもしれないが、チームが一丸となって相手チームと戦うという感性は大なり小なり身に付けるだろう。仮にそういう経験がなかったとしても高校や大学を卒業して、会社の組織の一員になって頑張った人間は、やはりチームワークというものが養われていると思う。
一方で、人間関係が希薄なアルバイトしか経験もなく、学生時代も集団競技など(あるいはオーケストラや吹奏楽部なんかも集団競技的なところがあるかもしれない)やってきたことのない人間は、チームワークが苦手なような気がする。
だからと言って、集団競技経験者しか集めないというのは難しい話なので、この話は単なる目安にしかならないのだが、少なくとも人を使う側からすれば、なぜ集団行動ができないのか、という疑問を取り払うことはできるかもしれない。そういう人間には別途そういう人間がわかるような説明をこちらからしなければならない。ということに気付いただけでも有意義な会話だった。たまには普段会わなくなってしまった人間と話すのも悪くない。いや、もっといろんな人と会ったほうがいいんだろうな、と改めて思うのだった。
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